子供の頃の記憶は母の作ってくれた料理やお菓子につながるものが多い。
一人暮らしをするようになって7年がたち、自分でも料理を
ずいぶん作るようになったけれど、どうしたって仕事のない週末が中心。
たしかに母は専業主婦だったけれど、毎日、毎日、相当手のかかる
4人の子供を育てながら、よくあれだけの記憶に残る料理を
作ってくれたものだと感心してしまう(ちなみに裁縫の腕だって相当なもので、
子供の頃はほとんど母の手作りの服を着ていた)。
私がこんなに食べることと、料理をすることが好きになったのも、
美味しいものをいっぱい知ることができたのも、間違いなく
母のおかげである。働くようになってからは、会社の上司や
年上の友人にたくさんご馳走してもらって、美味しいものを
いっぱい教えてもらった。もちろん、自分が作った料理の記憶もたくさんある。
今までは「食の記録」を書いてきたけれど、忘れてしまわないうちに
私の中にたくさん詰まっている「食の記憶」をひとつずつたどって
みようと思います。
■毒をつくる母
子供の頃、うちの母は毒を作っていた。
いつも楽しそうに「それは毒だから食べちゃだめよ!」というのである。
まだ幼かった私は「毒=食べちゃいけない」と信じ込んでいて、
意味もわからず見ていたものだ。でも、その毒は母のお許しがでると、
美味しいチョコレートにかわった・・・。そう、その毒とは、
ココナッツをまぶしたトリュフチョコレートだったのである。
高級チョコレートがブームになって、ショコラティエなんて職業が
知られるようになってずいぶん経つので今やちまたには、
ピエール・マルコリーニやジャン=ポール・エヴァンや、ゴディバやら・・・
こだわりのチョコレートがあふれている。
でも私が子供の頃のチョコレートといえば、きのこの山、たけのこの里、
ビックリまんチョコ、チロルチョコ、小枝チョコ、あとは普通の板チョコだった。
今思うと不思議でならないが、その頃から母は家で
トリュフチョコレートを作っていたのである。
バレンタインの時期だけには限られていなかったと思うけれど、
チョコレートを湯煎で溶かして生クリームなどの材料とまぜて小さく丸めて、
最後にココアや粉砂糖、そして乾燥ココナッツの中で転がす。
いつも決まって3種類。でもなぜか毒と呼ばれるのはココナッツのみ。
他の2種類は完成するとココアや、粉砂糖の入ったタッパーに入れて
すぐ冷蔵庫にしまわれてしまう。
でも、ココナッツだけは母のこだわりなのか、
ココナッツをまぶしてからいつも外で乾燥させていた。
その姿はとっても魅力的だった。ついつい、つまみたくなる可愛さ。
だから母は子供だった私たちに「それは毒だから食べちゃだめよ!」と
繰り返し言っていたのである・・・。完成品と母がみなして、
毒ではなくなったそのチョコレートの美味しかったこと!
ココナッツの香ばしい香りが広がって、口の中でチョコレートが
とろっと溶けだす極上の瞬間。
大人になった今でも私は、チョコレートのショーウィンドウで
ココナッツをまぶしたトリュフをみつけると、
今でも「あっ、毒」と心の中でつぶやいている。
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とここまでが私の記憶。
しかし今日、母からメールがきて「あれはチョコじゃない」と。
母が作っていたのはデーツ(なつめやし)のお菓子だったそうで、
たしかにココナッツをちらして乾かしていて
「毒だから食べちゃダメ!」と言っていたそうです。
ただそんなに何度も作った覚えはないそうで・・・。
あまりにも強い「毒」の記憶と、母がいつもバレンタインの時期に
つくっていたトリュフチョコの記憶が、勝手に私の中で
ミックスしていたことがわかったのであります。
なんて記憶ってあいまいなもの・・・。
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